第02話『ガンプラ』~人生のキーマンとなる友人との出会い~

1970年代後半、街には「スペースインベーダー」の侵略により、インベーダーハウスなる名称のゲームセンターが溢れていた。相変わらず家庭用ゲーム機は普及していなくて、ゲームは町のゲームセンターでやるもの。と、相場は決まっていた。

当時のゲームセンターは「不良の溜まり場」や「危険な場所」という認識は少なく、駄菓子屋の延長で「小学生たちの社交場」だった気がする。

絶対にやたらと上手なお兄さんとかがいて。そのお兄さんのプレイを後ろから眺めて覚えて。そして自分でやってみるけど上手に出来なくてまた覗き見して。そんなことを繰り返していたらすぐに時間なんて過ぎてしまう。結局、お小遣いもそれほど使わなくて済んだ。

もうひとつ、この田舎のインベーダーハウスに子供たちが集まる理由があった。それは「機動戦士ガンダム」。最初の人気はイマイチで、後々火が付いたといわれるガンダムだけど、僕たち小学生の中ではすでにブームが起きていた。そしてこのガンダムのプラモデル、通称「ガンプラ」が登場したのも実はこの時代。

当然、自分の手で作ってみたい。そう思っても当時はホビーショップなど存在しない。駄菓子屋の奥の棚に少しだけプラモデルが入ってる程度。おもちゃ屋さんには売っていたのかもしれないが、田舎の小さな町におもちゃ屋さんは存在していなかった。いや、あったのかもしれないけども自転車でしか行動できない僕たちのテリトリーの中には、少なくとも存在していなかった。

そんな中、僕たちでもガンプラを簡単に変える場所。それが当時のインベーダーハウスだった。町の小さなゲームセンターに子どもの好きなプラモデルを入荷して販売する。今考えると、子供相手になんちゅう商売かと思うけど、需要と供給が一致していたのでもちろん誰も文句は言わなかった。

という環境だったので、学校が終わって公園で遊び、夕方から夜にかけてインベーダーハウスでゲームを少しやっては同じよ言うな境遇の子供たちとガンプラの話を繰り返してた。

ガンプラを自分で買いだすと、当然うまく作りたくなってくる。それには、思い通りに色を塗らなくてはいけない。当時はそれを「プラカラー」って言ったかな?そのプラカラーを数多く揃えなければどうしても上手には出来ない。しかし。。。そのプラカラー1色で、インベーダーゲームが数回出来るような金額。僕らには高額だった。

しかし、彼だけは違った。彼の家は特別裕福でもなかたし、普通のサラリーマンの家庭だった。だけどもどちらかと言うとインドア派だった彼の部屋には、たくさんのプラカラーがきれいに整列されて揃っていた。

もしそれを自由に使っていいとしたら?

プラモデルのセンスがないのを、色が足りないせいにしていた僕は(この環境下でセンスのなさがさらに露になっていくとも知らずに)この環境に狂喜乱舞した。

もともと自転車で動ける範囲内でしかテリトリーを持たない僕たち。インベーダーハウスで知り合った彼の家も、当然自宅から自転車で移動できる程度の距離に住んでた。僕はそれから、何かといえば彼の家に遊びに行くようになる。

今想うと、ここで出会った彼がおそらく一番大きな人生のキーマンだったかも。

つづく

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Editor:添田真人

MASATO SOEDA

経済大学の付属高校を卒業するも、エスカレーター進学を拒否して映画の専門学校に入学。卒業後は仕事として海外紛争地域の難民キャンプを3年間撮影で巡ることに。その際『家』の大切さに目覚め、建築職人として修業の道へ。しかし、計画倒産に巻き込まれて起業を余儀なくされる。自分の会社を存続させるために、必要に迫られて本格的なマーケティングを学ぶ。

その後コンサルタントとして独立し、"力学思考"という独自の戦略理論を構築。現在はその思考法をベースにした、力学マーケティングをクライアントに伝授する『事業プランナー』として活動中。

他にもトレーダーとしての顔を持ち、場所・時間・お金に縛られることなく楽しんでいる≪戦略型ノマドライフ≫な日常生活を、自由気まま好き勝手に書き綴っています。

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