「自由になりたい」なんて大人になってから使うと頭悪そうな言葉ではあるが、実は本心で「自由になりたい」と思っている。若い頃は本当に自由気ままに生きてきた。当然のように無謀なチャレンジも沢山したし、失敗も嫌って程してきた。だけど歳を重ねるにつれ、だんだんと安全な道を選ぶようになり、そして計画的に最大効率を求めて賢く生きる術を覚えていく。そして気づいたらその代償として自分の自由を差し出していることに気づく。
自分がいま理想とする『自由』ってなにか考えてみる。きっと好きな場所に住み、気の合う仲間とだけ関わって、毎朝起きてから今日はなにをするかを考える。人に言われたことではなく自分のやりたいことをしながら日々過ごしていく。それが自分の理想の自由であり、考えるに誰にも縛られたくない=自分の時間の使い方は自分で決めることが最大の自由じゃないかと思っている。
そして最終的な夢としては、どこか別の場所に移住をしようと思っている。それが国内なのか海外なのかもわからないが、何でもそろっている大都会ではなくて自然豊富な田舎の方がいい。人の少ない土地に住み、ゆったりとした時間の流れの中で、好きなものを食べて、好きな人とだけ関わって、静かにくらしたいという願望。これが最終的な夢かもしれない。
でも、その夢の実現のためにはお金がないと選択肢も限られていく。どこに行くかも、何をするかも、自分の好きには選べなくなる。だからこそ「稼ぐ」ということも念頭においておかないと本当の自由は手に入らない。「お金のために働く」のではなく、「自由を手に入れるために稼ぐ」ってことを、改めて考える。
先程「最終的な夢」という表現を使った。結局、自分がこの世を去るときにどういう状況に身を置いておきたいか。もはやそれを考える年齢にもなっている。折り返す前は“未来の設計”でいいんだが、折り返し地点を過ぎた今となってはどのように最後状態をもっていくか、それを考えるわけだ。
そう考えると、これは“終活”なのである。
最後の最後、自分の人生の着地地点を目指す準備であり、自分の人生の再設計である。自分の人生の着地地点を再設計するプロジェクトなので、今回は「自分自身のために動く」と決めた。今まではどちらかと言えば、大勢でのチーム活動が好きでチームメンバーや関わる誰かの事を常に考えて動いていたように思う。今回は完全にその荷物を降ろすことにした。
しかし、理想のプロジェクト遂行のため、新たにアライアンスを組んだ。でもそれは純粋に自分が頼れる人と一緒に完璧な距離感で歩んでいく運命共同体。仲間は何があっても助けるし、サポートも行っていく。自分ももちろん助けてもらう事も少なくないと思う。だがこれまでと決定的に違うと意識しているのは「助ける」ことはするが「育てる」ことはしない。
あくまで同じ歩幅で歩くことは絶対条件。誰かに合わせて人生のスピード調節をすることはもうしない。誰かに合わせてもらって、その人の負担になることもしたくない。誰かに合わせるという事に神経を使いたくもない。自分の理想とする歩幅で自分の人生を作りあげる。これは最初に決めた絶対条件。
最終着地地点からの景色を想像しながらこの≪終活≫をはじめていこうと思う。
それがこのEVERFREE☆PROJECT。
2025年4月1日